LOGIN日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
部屋には空調が効いていて快適な温度なのに、悪寒が走ったのはどうしてだろう。 無菌状態だから風邪というのも考えにくいし。 拳を握ったり開いたりして、徐々に自分の感覚を取り戻していく。正直楽なものではない。 今は電動リクライニングのベッドを少し起こしているけれど、重力というのはこんなにも重かったのか。 内臓にかかる重力を感じてしまう。お腹の中身が重たい気分。便秘がひどくなったらこんな感じかな。 まだ体を起こすことはできないけれど、少しずつ力を入れて自分の体の操作権を掌握していく。アイハブコントロール。 それにしても静かだ。 わたしが眠っていた間、姉妹たちはこの静かな空間で何を思っていたんだろう。 きっと何も反応のないわたしに話しかけ続けていたんだろうなということは容易に想像できるけど、それを思うと胸が痛い。 ずっと辛い思いをさせ続け、それでも決して匙を投げることなくわたしの世話を続けてくれていた家族。 わたしはその恩にどうすれば報いることが出来るだろうか。きっとより姉たちなら「そんなもん必要ねーよ。ただ元気に生きてくれているだけでいい」なんてことを言うんだろうけど、それではわたしの気が済まない。 たとえ形に残るものではなくても、なんらかの形でこの想いを伝えることはできるだろうか。 まずはリハビリに励み、一日でも早く我が家に変えることが先決だろう。 でもその先は? もう一度唄えるんだろうか。ダンスを踊ることはできるのか。 特にダンスに関しては、自分の記憶力と運動神経に頼っている面が大きかった。もし、それらの能力が失われてしまったとしたら。 再び嫌な悪寒が背中を走る。 わたしにとって歌とダンスは切っても切れない不可分なものだった。声と体で自分の世界観を表現する。その片翼がもがれてしまったとしたら。「ダメだな。こんな弱気になってたらみんなに怒られちゃう」 今は考えても仕方がない。体が動かないから、余計に気弱になってしまうんだ。 少しでも早く体を動かせるよう、自主的にリハビリも頑張ろう!「……あいたぁ!」 動かそうとした足に激痛が走り、慌ててナースコールのボタンを押す。「広沢さんどうしました?」 ……。 看護師さんに叱られた。「慌てたところで何もいいことはありませんよ! 今回は単に足がつっただけ
「それで、今の気分は? 記憶の混濁などはありませんか? 色が見えるようになったというのは本当ですか?」 ちょっとちょっと。 珍しい症例なのは分かるけど、先生が興奮してどうすんの。落ち着け。 そんなにいっぺんに聞かれてもどれから答えればいいのかわかんないよ。「気分は別段悪くありませんが、体が思うように動かないですね」「それはね。一年以上も眠っていたんですから、筋力は相当衰えているでしょう。それでも筋肉が硬化せず、動かすことが出来るのはお姉さん方のおかげですよ」 より姉たちの?「毎日、一日も欠かさずに時間のマッサージをしてくれていたのはお姉さん方ですよ。みなさんが交代で毎日訪れている様にはわたし達も胸を打たれました」 一年以上休まずに? いくら四人いるからと言っても仕事や学校もあるし、それはかなり大変だったんじゃ。 そう思ってみんなの方を見たら、赤い顔をしてそっぽを向かれてしまった。 照れなくてもいいのに。「より姉、かの姉、あか姉、ひより、ありがとう。みんなのおかげでどこも痛いところはないし、重いけど動かすことが出来るよ」 感謝の想いを込めて、重い頭を持ち上げてなんとかお辞儀のようなことをしてみる。 だけど思ったように頭が上がらない。無駄な動きで布団が少しめくれただけ。「お礼をしたいのにちゃんと動かないや。これはこれからのリハビリが大変そうだね」「無理しなくていいんだよ。今はまだ目覚めたばっかりなんだし、ゆっくりしとけ」 顔を赤らめたままのより姉が優しく布団をかけなおしてくれた。「全ての筋肉が衰えていますから、無理はしないでください。首だけでなく喉の筋肉も弱っていますので、普通なら話すことも困難なはずなんですが、そこはさすが歌手と言ったところなんでしょうかね。しわがれることもなく、綺麗な声が出ていますよ」 それはさっきから思っていたことだ。少し喉の筋肉に違和感があって、しゃがれてはいないものの大きな声が出せない。「少しずつ全身を動かすところから始まって、飲み込む力も衰えているので嚥下のトレーニングもしていかないといけません」 嚥下のトレーニングって初めて聞いたな。 どんなことをするんだろう。「まずは粘性の付いた液体を呑み込むところからですね。その次に液体、流動食。普通の食事をとるまでには1か月といったところでしょうか」「い
あれから一年以上が過ぎた。ゆきは眠ったまま二十歳を迎えてしまう。「ほら、マッサージ終わったぞ」 姉妹全員で欠かさずやっている日課を終えて、ブラシを手に取る。「ずいぶん伸びたなぁ」 まっすぐに伸びた絹糸のような黒髪にブラシを通す。これもまたみんながやっていることだ。 マッサージは医師から言われて始めたことだが、髪を梳くのは誰が言うともなく自然と始まったこと。 元々腰まであった長い髪だけど、今では尻を超えるんじゃないかという位置にまで来ている。立ってみることが出来ないから正確な長さは分からないけど。「いくら毎日梳いているとはいえ、相変わらずキレイな髪だよな。羨ましいぞ」 対するあたしの髪にはいつもの艶がない。 今日は会社も休みで、昨日はあたし名義で借りたワンルームマンションに泊まったから。普段使いするわけじゃないから置いてあるものは最低限なため、シャンプーとコンディショナーもコンビニに置いてある安物だ。 ワンルームマンションの家賃は長女であるあたしが全額払うからいいと言ったのに、楓乃子は半分持つと言うし、茜とひよりまでアルバイト代からいくらか出すと申し出てきやがった。どんな形であれゆきのために何かをしたい、その気持ちは分かるから好きなようにさせた。「ほんと、お前の愛され方はすげーよな。まぁあたしも負ける気なんてないけどな」 笑いながら語り掛ける。そこに返事はないけれど、今ここに生きていてくれることにとても安心感を覚える。 一向に目を覚ます気配のない眠り姫。 その表情はとても穏やかで、微笑んでいるようにも見える。「何笑ってやがる」 もっと悲しむものだと思っていた。会うたびに涙が止まらないんじゃないかと。医者の見立てでは、目を覚ます確率は五分五分。一か八かの賭けのようなものだ。 だけど不思議なことに、静かな病室で雪に話しかけている間、心にあるのは安心感。 その安らかな寝顔を見ているだけで、愛しさが溢れ、ついつい唇を重ねてしまう。「ん。少し乾燥してるのかな」 バッグからリッ
目が開いた。ような気がした。「あれ、わたし眠ってしまったはずじゃ」 声が出た。と思う。 どこかで感じたことのある感覚。かつての記憶が蘇る。「精霊さん?」 呼びかけてみた。 目の前に光が現れ、それが弾けるように瞬いたと思ったら、懐かしい姿が目の前にいた。「やぁ、元気だった?」「元気と言っていいのかな? ここにいる時点でかなり危うい状態だと思うんだけど」 前に会った時は心肺停止状態だったしね。「なんだか可愛げがなくなったような気がするのは気のせいかな」「もう、何年たったと思ってるの? ずいぶん久しぶりなんだから成長だってしてるよ。いつまでも幼児じゃないってば」 実に十六年以上ぶりに会ったというのに、旧友と再会したような気分になるのはわたしの中にいつもいたからだろうか。「わたしにとってはそれくらいの年月なんて一瞬だよ。成長したと言ってもまだまだ子供!」 ちっちゃな胸を張ってドヤ顔の精霊さん。バストもわたしより控えめだ。「どこ見てんの?」「別に」 さすがに男がそんなとこでマウントを取るのもおかしいから目を逸らす。「で、今回は何をしに来たの? お迎えだったら追い返すけど」 握り拳を作って精霊さんを威嚇する。わたしもずいぶん図太くなったもんだ。「なんで物理的に追い返そうとしてるかな。ていうかお迎えって何のこと?」 意味が分からないと言った様子で小首をかしげる精霊さん。なんだかあざといな。「だって雪の精霊さんがわたしに乗り移って命をつないでくれてたんでしょ? 期限が来たから神様が帰ってこいって言ってるのかと」「は?」「え?」 お互いに疑問符を頭につけて首を傾げてしまった。沈黙。「前から言おうと思ってたんだけどさ。なにその|雪《・》|の《・》精霊って。炎とか雪とかそんな属性なんてないんだけど」 十六年ぶりに会ったと思ったら盛大な勘違いの訂正。「え!?
配信開始数分前。 わたしはモニターの前に立ち、呼吸を整える。 ゆきちゃんへの愛情が感じられる期待に満ちたコメントが並び、その温かさに涙が溢れそうになる。 だけど泣いてる場合じゃない。 ゆきちゃんが大切にしてきた世界。そこに告げるにはあまりにも残酷すぎる言葉だから。 配信画面が切り替わり、わたしの姿が映し出された。【あれ、ひよりちゃん?】【ゆきちゃんは?】【何かの企画?】 コメント欄には疑問の声が並ぶ。 笑顔でいたいけど、これから話す内容を考えたらとても笑ってなんかいられない。 画面の外で見守るお姉ちゃん達の方を向くと、口パクで「がんばれ」と言ってくれた。 うん、わたし頑張るね。「今日はリスナーさん達に大事なお知らせがあります」 正直この先を言うのはわたしも辛い。 震えそうになる声を抑え、毅然とした表情を作って続きを離す。【なんだろ】【ゆきちゃんは?】【今日は歌わないの?】【ひよりちゃんの表情が気になる】 先週まで元気な姿を見せていたからか、リスナーさん達には見当もつかないようだ。 ゆきちゃんを呼ぶ声が心に重くのしかかる。「ゆきちゃんは今日、出られません。ゆきちゃんは……眠りにつきました」 振り絞るようにしてそこまでは言えたけど、その先は続かなかった。 リスナーさんもわたしと同じように言葉に詰まったのか、あれだけ激しく流れていたコメントが完全に停止してしまう。 無言のまま、どれくらいの時間が過ぎただろう。 やがてぽつりぽつりとコメントが流れ始めた。【嘘、だよね?】【ゆきちゃんが……】【そんな……】【イヤだ!】 ゆきちゃんが言っていた五段階必要ってのはこのことか。 最初は否認、そして怒り。 わたし達も同じ道をたどってきたからよく分かるよ。認めたくないよね。 あんなに明るく快活で、元気いっぱいだったゆきちゃんが。
パトカーと救急車が家の前に停まり、警察官や救急隊員が忙しなく動き回っているせいで近所の人の目をひいてしまい、外はにわかに野次馬でごった返すほどに注目されてしまった。 強盗が入ったなんて一大事だもんね。 みんなそれぞれ警察から事情聴取を受け、最後にわたしの番が回ってきた。 他の姉妹には聞かれたくないので玄関先に移動して聴取を受けることにした。担架に乗せられ、運ばれていく男の姿が見えた。「いてーよー。なんなんだ、あの女ー。化け物かよ」 やかましい。誰が化け物だ。それだけ話せる元気があるなら十分だろ。
いつまでも潮風に当たっていたせいで髪がベタベタになってしまった。 お風呂に入りたくて民宿に戻ると、残された3人はご立腹。「2人きりでデートですかー。いいですねー」 かの姉思いっきり拗ねちゃってるし。「いや、デートじゃなくて散歩してたらたまたま会ったから、少しお話してただけだよ」 嘘は言ってない。別に待ち合わせとかしてないし。 というかあんな暗い中、よくわたしを見つけることができたよね。「ゆきちゃんがいなくなったと思ったら一緒により姉もいないし。ひよりはとっても寂しかったんだよ
休み明け、学校に登校する道すがらですでに予兆はあった。ひよりとあか姉、3人で歩いているとあからさまに感じる視線。 同じ学園の生徒だけでなく、近所の主婦やお店の人、果ては小学生までじっとこちらを見てくるくらいだから、相当広まっていると考えたほうがよさそうだな。 学校が近づくにつれて視線はさらに増え、そこかしこでヒソヒソ話も。なんか悪いことした人みたい。 視線の集中砲火を潜り抜け、ようやくたどり着いた教室。だけどそこは安住の地などではなかった。 教室に入るなり押し寄せる群衆。口々に発せられる質問の数々。 あーも
昨日は微妙な空気になっちゃったけど、その後は気を取り直して旅行計画の方へと夢中になり、最終的にはいつも通り仲良く過ごすことができた。 心の中にくすぶるものまではわからないけど。 それでも心境になんらかの変化はあったようで、以前よりもわたしにべったりな状況がひどくなったような気がする。 だからいい人見つけなさいって言ってるのに……。 まぁ否応なくその日はやってくるから、いずれみんなも自分の道を模索し始めるだろう。 その時に何もお手伝いしてあげられないのが心苦しいんだけど。